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ファン心理と恋愛心理 補遺 (好き、ということ)

「ファン心理は恋愛心理の『ずれたもの』であろう」とだけいうのもちょっと無責任な気がする。恋愛心理とはどういうものなのか、「ずれる」とはどういうことなのか、少しだけ考えてみる。

とまで書いたものの、恋愛心理について何ひとつ語れないことに愕然とする。



個人的には過去に3度ほど熱病のようなものにかかったことがあるが、胸がどきどきする、頭がカーッとなる、ぼおっとして何も手につかなくなるといったようなお決まりの症状が思い浮かぶばかりで、原因についてはなんら考えが及ばない。もうちょっと軽度のものはもう少しあったような気もするが、そのときは、相手の名前ばかりノートに書き連ねていた。高校時代だ。思いつくそれらの症例に共通点があるとすれば、片思いのとき、あるいは別れた(実際にはフラレタ)後であるということだ。そういうところは、ファン心理解明の一助となるかもしれない。報われないところがよけいに掻き立てる。

ナルシシズム。

という言葉が浮かんだ。

あるケースでは(ここではもう私の例は忘れてくれ。一般論である)誰かを好きになっている自分を好き、ということがあるかもしれない。報われなくても好き。別れても好き。伝わらなくても好き。無償の愛を注いでる私が好き。

昔、「愛とは何か」という話を人としたことがある。厳密にいうと、そういう問いかけを付き合いだす前にされ、2年後の別れのごたごたの中で「それは相手のために死ねることである」という非常に月並みな答えを実感を持って見出したのであった。例えば、親は子どものためになんでもしてあげたいと思うだろう。自己という個体よりも他人である個体を優先することができること。これが「社会的動物」としての人間のもっと純粋な形なのではないだろうか。

好きな人と一緒にいると好きな人のために自分をいつでも投げ出せる。これは行動のレベルで、あってそこに感情が生じる余地は少ない。 ready であれ、という話であり、感情とはまた別のことである。(そうか、好き、とは感情の話で、愛している、とは行動の話なんだ。llike と love はどうちがうの、とか時々話題になるけどね。たぶんそういうことだね。) 片思いとか別れた後とかファンというのは、現実には相手に対して何もしなくていい。無償の愛、というより責任の生じない「愛」であってそれゆえに感情のおいしい部分だけ味わえる。こんなにあの人のことを思っている私。あの人のことを思うと涙が出る私。あの人に人生のすべてをささげている私。

タナトス(この用語のいい説明ではないと思うが、「非モテ」という概念設定と、宇野千代の逸話がめちゃ面白いので挙げておく)という言葉をこのブログで出したことがあった。「愛とは死ねること」と定義すると「死への欲求」であるタナトスと関連する。自分を無にしたい、という気持ちがファン心理と近いのではないか、と言ってみる。

そうか、ある意味、重度のファン心理とか片思いというのはタナトスと人間の社会性の積である。つまり、タナトスが特定の人間を対象として固着したものであるといえそうだ。

それでも、まだ、どうしてその対象がその人であるのか、その人でなければならないのか、に対する答えはでていない。
by spiral_cricket | 2006-01-21 09:59
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